こんにちは、あがりまる(@agarimaru)です。
本業はフリーランスの映像翻訳者です。
極度のあがり症なので、人前に出る仕事はしたくない。接客も苦手で学生時代はコンビニのアルバイトを1か月で辞めたほど。
そんなあがり症の私が、学生時代から就活を経て、何とか翻訳会社に就職するまでの話を前回書きました。
今回は、入社してからの正社員時代の話と、その数年後に上京・転職した頃までの話です。どうぞお付き合い下さい。
あがり症の私が翻訳者になるまで②
23歳~ 電話が苦手、お茶出しもできない正社員時代
無事に新卒で翻訳会社に入社できた私。翻訳会社の仕事はそれなりに楽しく、とても勉強になりました(今の私がいるのも、この会社のおかげ)。
でも入ったのは従業員4人の小さな会社。基本的にみんな黙々と翻訳をしているので、社内は常にシーンとした状態。そんな中で、電話が鳴る度にビクビクし、自分の会話がみんなに聞かれているという状況が苦痛でした。
そもそも普段から電話が苦手なので、自分から掛けるときも事前に言うことをメモしてシミュレーションし、緊張して掛けるという始末。
幸い座席がみんなの視線を感じない位置だったこと、そしてメールでのやり取りが多く、大事な電話が毎日あるわけではなかったこともあり、あがり症でも働き続けることができました。
ところが入社5年目くらいの時に、ごくたまにあるお茶出しで手が震えたりと、少しずつトラウマが重なってあがり症が悪化。ちょうどリーマンショックの頃(2008年)で業務量が激減したこともあり(30歳目前というタイミングもあり)、
「こんな小さな世界(会社)でお茶出しもできなくて悩むくらいなら、もっと大きな世界(東京)に行って悩もう!」
と、極端な思考に至ったのです。
28歳(入社5年目)、独立を夢見て翻訳学校へ通う
会社勤めでの緊張から、「将来は何が何でも家で一人で翻訳の仕事がしたい!」と思うようになった私。とにかく将来楽をしたい一心で、まずは週末に、東京のとある学校の翻訳者養成コースに通い始めました(今ならオンラインとか他に選択肢があると思うけど、当時は早く独立したくて必死だった)。
学校は下っ端のクラスでしたが、授業は英語オンリー。扱う内容も時事問題が中心で、ついていくのに必死。緊張のあまり毎回お腹が痛くなっていました。
でも東京に通い続けるうちに(当時は東海地方に住んでいた)、東京には魅力的な翻訳の仕事がたくさんあるということを知り、ついに6年勤めた翻訳会社を辞めて上京を決意しました。
29歳で退職 →上京。まずは派遣会社に登録
ダメだったらいつでも戻ってくればいいやという気持ちで2009年4月に上京。実は上京前にハローワークで見つけた翻訳の仕事を当てにしていたのですが、最終段階でそのプロジェクト自体がなくなってしまい、上京後は、慌てて派遣会社に登録しまくる日々。1週間で10社ほど登録に行きました。
会社の採用面接とは違い、派遣会社の登録自体はわりと気楽で、1人で個室でタイピングなどの簡単なスキルチェック(合否判定が目的ではない)や、面談を受けたりする感じだったと思います。
今は来社不要でWeb登録やオンライン面談ができる派遣会社も多く、ますますいい時代!
ただ1社だけ、スタッフの方が見ている中で数名同時にタイピングさせられたことがあり、得意なはずのタイピングをする手が震え、何度も打ち間違える始末。スタッフの方にも「大丈夫ですか?」なんて言われてしまいましたが、ちゃんと登録はしてもらえましたよ(笑)
楽しかった短期派遣の翻訳の仕事
運良く、上京した4月にすぐに、約1か月半の短期派遣の翻訳の仕事を紹介してもらい(100人ぐらいの派遣翻訳者と一緒に、広い部屋でひたすら翻訳をするという仕事。大量採用の仕事はチャンスです!)、仕事は順調にスタート。
その後も、別の派遣会社から3週間の短期派遣の翻訳の仕事を紹介してもらい、1社目も2社目も、「電話対応なし」というストレスのない環境で、のびのび翻訳の仕事をさせてもらいました。
一方で、翻訳学校の勉強の方では壁にぶち当たり…
壁1:当時学んでいた「ニュース翻訳」という分野が自分に合わないと感じ始める。
壁2:毎回の授業で、制限時間内にエッセイを書くとき、焦って手が震えるようになる。
楽しかった短期派遣の仕事も終わってしまい、新しい仕事の面接に行く度に緊張するのが苦痛になってくるなど、上京後、一番悩んだ時期です。
上京後3ヶ月で挫折 → 字幕翻訳の道に方向転換
派遣の採用面接が苦痛になった私は、短期派遣ではなく長期派遣で翻訳の仕事を探しつつ、空いた時間にひたすらネットサーフ。将来のことをを模索するうちに「映画翻訳のアシスタント」の仕事を見つけ、「字幕翻訳者になりたい!」という気持ちに一気に火がつきました。
すぐにその会社にメールをして面談の機会をもらい、即採用にはならなかったものの、社内の映像翻訳プロ養成講座を受講させてもらえることになりました。
そこは学校というよりも小さな塾のような雰囲気で、当時の生徒数は4人。先生もとても優しくて、「学校の授業」となると緊張してしまう私でも、緊張するどころか毎回通うのが楽しみでした(→後に、この会社とはずっとご縁があって、お仕事をいただけることになります)。
そこでの勉強に手ごたえを感じ、課題自体が少ない学校だったので、「もっと字幕の勉強がしたい!」と、さらに別の映像翻訳学校の通信講座も並行して受講を始めました。
通信コースなので、家で課題に取り組むのがメイン。とにかく家に引きこもって翻訳の勉強に打ち込んでいた時期です。
映像翻訳学校2校目(通信)▶ワイズ・インフィニティ
29~30歳、長期派遣の仕事をしながら映像翻訳学校3校目
この映像翻訳学校2校の半年コースで映像翻訳の基礎は学びましたが、将来より仕事につながるチャンスを求めて、その次は大手の映像翻訳学校に1年通いました。
この時、タイミング良く長期派遣の翻訳の仕事も決まり、勉強に集中できる環境が整ったことも大きかったです。
翻訳学校はエージェントの役割も担っているので、修了時にトライアル試験に合格すれば、登録翻訳者として仕事をもらえることにもつながります。そのため、絶対にフリーランスになるんだ!と強い気持ちを持って入学しました。
3校目の映像翻訳学校は今までの2校とは違ってそれなりに緊張する場面もありましたが、基本的には家でやった課題を事前にメールで提出しておいて、先生からフィードバックを受けるというスタイル。
毎回、一番後ろの席で受けていた小心者です。
緊張もしたけれど、映像翻訳者としてやっていけそうな自信をつかんでいくことができ、先生やクラスメイトにも恵まれて、1年間通い続けることができました。
映像翻訳学校3校目▶JVTA日本映像翻訳アカデミー
仕事も学校も再び順調。と思いきや、この長期派遣の時期に、あがり症がますます悪化。通勤電車でパニック症状が出るように…。別記事に続きます。
おまけ:翻訳者に「あがり症」は多い!?
翻訳者の中には、「人前で話すのが苦手なので、通訳ではなく、一人でじっくりできる翻訳の仕事を選んだ」という人、結構いると思います。
ある有名な海外ドラマシリーズの吹き替え翻訳をした方のセミナーに行ったとき、マイク越しに話すその人の声が、最初から最後までずっと震えていたことがあります(ご本人も度々「緊張して声が震えます」とおっしゃっていた)。
でもそんなことが全く気にならないぐらいとても感動する内容で、とても勇気をもらいました。
なのであがり症や社交不安障害に悩んでいる方には、「震えながらも、好きな仕事をしている人はいますよ」と伝えたいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。